caffeine-de-diary’s blog

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石濱裕美子『チベット仏教世界の歴史的研究』を買いました

以前から探していたのですが、たまたま検索をかけたら古書店の目録にあったので即注文してしまいました。なかなか出回らず、再販も決まらないので非常に良いタイミングでした。

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現在大学院生なのですが、自分の研究分野とチベット仏教は割と絡み合うテーマなのです。むしろチベット仏教が裏で手を引いていたから自分のテーマの全真教がボコボコにやられたわけですが。

主な舞台となっているのは主に清代におけるチベット仏教と政治世界とのやりとりであるので、元代はそこまで、という感じです。ただこの本でも何回も言及されていますが、これまで漢文史料のみに依拠した研究が主で漢字文化圏中心の見方がどうしてもされている。近年は今在籍してる院の先生も同じですが、非漢字圏の史料の重要さが指摘される中先鞭的な研究だと思います。

いうて今の自分の研究対象からすれば、漢字文化圏中心になってしまうんですがね。道教ですし。

ただチベットやモンゴルの人々が道教というものをどう捉えていたのかについては非常に興味があるので、資料も探してみようかと。

 

個人的に興味を持ったのは、時代もあってか第1章。パクパというチベット仏教僧がどのように王権と関わっていたのかについての内容。パクパの重要性はどの論文も言及していますが、王権思想の形成過程がどのようなものであったのかわかりやすく書かれていました。

改めて元という巨大な国家の裏にはチベット仏教が絡んでいたと再認識。

とある教授からすれば、モンゴル人やチベット、そして日本人はチベット仏教的な世界やシャーマン的な世界は理解しやすく、逆に道教のような不老長生は理解しにくいとのこと。ただ高橋文治さんがやられているように、琴線に触れたモンゴル王族はいますし、それこそチンギス・カンも全真教には多少入れ込んでいるので一枚岩ではないようですが。

自分の博論がどのような形になるかは、なんとなく描けてはいますが、まだまだデータも論文も足らないという状態。この研究は非漢字圏の史料だけではなく、穿った見方を消すためにも非常に良い本ではないかと思います。チベット仏教の研究は盛んなのですが、ヘンにオカルトというか意識高い人が好んでるイメージ。

一般の人もチベットの置かれている現状を知るためにもわかりやすい本が必要なのではと思います。

著者のホームページでは書かれた本の紹介もしてるので、見てみると良いと思います。

ishihama.tibetan-studies.net

ついでにこのリンクから復刊運動しましょう。