caffeine-de-diary’s blog

趣味のあれこれについてつぶやきます

「大学」チャンネルへの見方

どうも珍しく短期間での更新です。

 

だいぶ前からですが、You Tubeでよく見かけるチャンネル名に「○○大学」って名を冠するものがあります。他にもオンラインサロンなんかでも見ますね。

ただなんかこう、そういう名前を冠してるチャンネルとかを主催してる人ってどうも難がある人が多いような気がします。

とりわけ彼らの主張で多く聞かれるのが次の点かと。

 

・「大学はいらない、行かなくていい」

・「学校や大学の勉強なんて役に立たない。○○をやれ」

・「会社に使い潰されないためには云々」

・「自由に生きるためには」

 

まぁ言い方悪いですけど意識高い人たちの話なわけです。十把一絡げにするわけではないんですが。

ただ上のような事を言う人達がなんで「大学」を名乗ってるのかが気になりますね。

また投稿してる動画とか内容も僕からは胡散臭く見えてしまうわけです。

 

僕自身一時期自己啓発等を調べていた時期があります。

好きなとあるバンドのメンバーがセミナーにのめり込み、結局解散してしまったからです。

某Xってバンドなんですけどね。

まぁそんな話はおいておいて。

結局の所自己啓発セミナーという形をした新興宗教だった、という落ちなんですが、そのあたりのこともあってどうも警戒してしまうんですよね。

というより、上の人たちの話に影響される人ってミニマリストとかいう頭の弱い人達と同じな気がするんですよ。しかも忙しいからミニマリストになったのではなく、影響されてミニマリストになったタイプですね。

上の話をする人たちって結局自分にメリットが有るからするわけだとおもうんですよね。そら当然だと思いますけど。スクショですが、例えばホリエモンこと堀江貴文の本をアマゾンで検索したらこんなのがでてきました。

f:id:caffeine-de-diary:20200719032047p:plain

まぁ全部自己啓発やなぁって感じでは有るんですよね。

馬鹿と付き合うなってあんたらに群がってるのはそのバカやぞって思いますがね。

最新のは上段正面から見て左2つ目のものですが、昨日本屋でパラパラ眺めてみました。

僕としては全く買う価値が見いだせませんでした。だって言ってることいつもと同じなんだもん。

結局俺はこれをやってる、これだから世界は回る俺は最先端って内容ですわな。

これって結局彼のやり方を真似ようとして動く人たちが彼にお金が落ちる物を買うだけですからね。メルマガでも〜みたいな言い方が典型。

こういう人たちって有る種教祖なんですよね僕から見れば。だから正直嫌いなんですけど。

たいてい大学無用って言ってる人たちってすべてが逆張りだと思うんです。

自分が注目されるためにあえて大学不要っていう形にもっていって、自分の思考に染めるみたいな。

彼らってたまたま時代の風が読める人たちだったっていうだけの人です。

これを言うと負け惜しみじゃねえかwwwwwwwって言う人もいるのですが、ならそういう彼らが使っているテクノロジーはどこから生まれたかって言えば大学を始めとする研究機関なわけです。彼らって結局は越した上澄みを使って飯食ってるわけですよ。その使い方が上手かったってだけです。

 

殆どの人間は彼らみたいに嗅覚が鋭いわけでも、口がうまいわけでもありません。

彼らがジョブ型雇用と言い続けるのは、他の人も本気を出せばできて当たり前だと思ってるいわゆるブラック企業の人たちと同じ思考回路を持っているからなわけです。

実際ジョブ型雇用をしている海外、特にアメリカなんかを見てみると貧富の差等がすごく大きい。そして負け組勝ち組がはっきり出てしまうわけです。

ただホリエモンみたいな人たちにとっては、そのほうが都合がいいんですよ。だって貧富の格差が大きいほど人は一発逆転を狙いたくなる、そして彼らが提唱する薄っぺらい理想論に感化されてしまうと僕は思います。

なぜ彼らの話が薄っぺらいのかと僕が感じるのか、というとおそらく彼らちゃんと本が読めず、情報の取捨選択を直感でやってしまうんだと思います。文系的に言うと。

理系はなんとも言い難いですが、なんとなく作ってみた基盤やプログラムがちゃんとした設計無で動いたみたいな経験が8割ぐらい、といえばいいでしょうか。それぐらい彼らの直感は凄まじいのです。ただ、それはあくまでも直感で、結局すべてで同じことを言っているだけになってしまう。それが手を変え品を変えているだけで全部同じなわけです。そんなだからあれだけメルマガや本が量産できるんでしょうけどね。

 

ただそういう話って僕らのような一般人からすればすげーってなっちゃうわけです。

だからメディアも持ち上げる。でも彼らのやり方って直感の働く彼らにしかできない方法なので全く再現性が無い。でもいかにも簡単そうにやってるから余計人が集まるという堂々巡りが永遠と繰り返されてしまう。そういうときに真っ先に引っかかるのが、いわゆる逆転を狙う人だったり、僕もそうなのですが、そこまで実力がないのに自分を過大評価してしまう人なんです。そういう人たちは結局何もならずに終わるだけなわけです。

 

彼らの見てる世界って本当に一部の人たちしか見れない世界なわけです。

僕らのような一般の人が見てもわからないんです。だからこそ、大学を始めとする教育機関というのは必要なんだと思います。役に立たないといわれる義務教育や一般教養は様々なものの見方を養成するためには必要不可欠な要素だと思います。彼らの視点を模倣することはできても、結局それはうまく行かないもので、それに対抗するためには様々な見方をする力を養成するしか無いと思います。量産型といわれますが、正直海外の大学も労働力を量産してるだけですよ。所謂る「一般の人」にとっては都合がいいのです。だって突出する必要がないですから。ただその世界だと彼らは儲からないから、そういうのはだめだって言ってるだけですし。

そのことを頭において彼らの発言は見たほうがいいと思う今日のこの頃です。

未だにあんなペラい内容を真に受ける人がいるのも不思議ですけどね。