caffeine-de-diary’s blog

趣味のあれこれについてつぶやきます

面白さとは何ぞや?

こんにちは。

留学の渡航の延期が正式に決まり、少しおセンチになっています。

身の振り方を考えなければいけませんね。

 

ところで少し前、中国学系の人たちがTwitterで中国学の志願者が少ない、という事を言ってました。

思い返してみると、僕の場合も確かに同じだな、と。

学部は国文学科に所属してましたが、その時も漢文ゼミは少なかったですね。

僕含めて5人だったかな。ほぼ最少人数でしたね。

一緒に入った友達からはお前がいなかったら別のゼミに行ってたと言われたので、もしかしからもっと少なかったのかもしれません。

上の台にいたっては3人でしたね。下の台は色々事情もあったので人数は多かったのですが、その次の代はやっぱり少なかったと聞いてます。

別の学科も同じみたいです。やっぱり中国学、ひいてはアジア学を途中から選ぶとなると少ないのですかね?

ただ、非常勤をやってた頃は韓国系が好きなのはちょこちょこいましたからアジア学というとやっぱ語弊がありますね。中国学に限定したほうがいいのかも。

 

思い返せば、落ちた大学院入試も確かに人はいなかったですね。3人受けて僕だけが落ちた試験でしたけど。聞けばその大学院もほとんどが留学生で日本人は少ないみたいです。

いうて今の所属先も同じですね。横の中文も全く同じ状況みたいです。

 

うちの師匠は本の中で、「中国学の面白さを若い人に知ってもらわないと」とおっしゃっていました。たしかに面白さを伝えることは重要だと思います。

むしろ面白さを伝えるというよりも、アジアに対して注目してもらわないと、というのは僕自身思っています。例えば今回のコロナ騒ぎも結局アジア諸国はそこまで被害を受けていません。なぜなのか?そこは生活習慣や文化を知らないと説明できないと思います。

僕自身、高校の頃は中国学をやってみたいとは全く思っていなかったです。

ただ改めて考えると、日本に住んでいる以上、アジアを意識せざるを得ません。アメリカやヨーロッパに憧れを抱くのは当然かも知れませんが、やはり身近な国のことは知っておく必要があると思っています。

僕が専門としているのは中国宗教思想ですが、この面白さどうやったら伝わるのかとは少し思いますね。下手したら中国哲学以上に難しいかもしれません。

文学や歴史は色々と触れやすいですが、思想とかになってくるとこれまた難しいですね。

まだまだ先ですが、その面白さをどうやって伝えるかを考えなければいけませんね。

「大学」チャンネルへの見方

どうも珍しく短期間での更新です。

 

だいぶ前からですが、You Tubeでよく見かけるチャンネル名に「○○大学」って名を冠するものがあります。他にもオンラインサロンなんかでも見ますね。

ただなんかこう、そういう名前を冠してるチャンネルとかを主催してる人ってどうも難がある人が多いような気がします。

とりわけ彼らの主張で多く聞かれるのが次の点かと。

 

・「大学はいらない、行かなくていい」

・「学校や大学の勉強なんて役に立たない。○○をやれ」

・「会社に使い潰されないためには云々」

・「自由に生きるためには」

 

まぁ言い方悪いですけど意識高い人たちの話なわけです。十把一絡げにするわけではないんですが。

ただ上のような事を言う人達がなんで「大学」を名乗ってるのかが気になりますね。

また投稿してる動画とか内容も僕からは胡散臭く見えてしまうわけです。

 

僕自身一時期自己啓発等を調べていた時期があります。

好きなとあるバンドのメンバーがセミナーにのめり込み、結局解散してしまったからです。

某Xってバンドなんですけどね。

まぁそんな話はおいておいて。

結局の所自己啓発セミナーという形をした新興宗教だった、という落ちなんですが、そのあたりのこともあってどうも警戒してしまうんですよね。

というより、上の人たちの話に影響される人ってミニマリストとかいう頭の弱い人達と同じな気がするんですよ。しかも忙しいからミニマリストになったのではなく、影響されてミニマリストになったタイプですね。

上の話をする人たちって結局自分にメリットが有るからするわけだとおもうんですよね。そら当然だと思いますけど。スクショですが、例えばホリエモンこと堀江貴文の本をアマゾンで検索したらこんなのがでてきました。

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まぁ全部自己啓発やなぁって感じでは有るんですよね。

馬鹿と付き合うなってあんたらに群がってるのはそのバカやぞって思いますがね。

最新のは上段正面から見て左2つ目のものですが、昨日本屋でパラパラ眺めてみました。

僕としては全く買う価値が見いだせませんでした。だって言ってることいつもと同じなんだもん。

結局俺はこれをやってる、これだから世界は回る俺は最先端って内容ですわな。

これって結局彼のやり方を真似ようとして動く人たちが彼にお金が落ちる物を買うだけですからね。メルマガでも〜みたいな言い方が典型。

こういう人たちって有る種教祖なんですよね僕から見れば。だから正直嫌いなんですけど。

たいてい大学無用って言ってる人たちってすべてが逆張りだと思うんです。

自分が注目されるためにあえて大学不要っていう形にもっていって、自分の思考に染めるみたいな。

彼らってたまたま時代の風が読める人たちだったっていうだけの人です。

これを言うと負け惜しみじゃねえかwwwwwwwって言う人もいるのですが、ならそういう彼らが使っているテクノロジーはどこから生まれたかって言えば大学を始めとする研究機関なわけです。彼らって結局は越した上澄みを使って飯食ってるわけですよ。その使い方が上手かったってだけです。

 

殆どの人間は彼らみたいに嗅覚が鋭いわけでも、口がうまいわけでもありません。

彼らがジョブ型雇用と言い続けるのは、他の人も本気を出せばできて当たり前だと思ってるいわゆるブラック企業の人たちと同じ思考回路を持っているからなわけです。

実際ジョブ型雇用をしている海外、特にアメリカなんかを見てみると貧富の差等がすごく大きい。そして負け組勝ち組がはっきり出てしまうわけです。

ただホリエモンみたいな人たちにとっては、そのほうが都合がいいんですよ。だって貧富の格差が大きいほど人は一発逆転を狙いたくなる、そして彼らが提唱する薄っぺらい理想論に感化されてしまうと僕は思います。

なぜ彼らの話が薄っぺらいのかと僕が感じるのか、というとおそらく彼らちゃんと本が読めず、情報の取捨選択を直感でやってしまうんだと思います。文系的に言うと。

理系はなんとも言い難いですが、なんとなく作ってみた基盤やプログラムがちゃんとした設計無で動いたみたいな経験が8割ぐらい、といえばいいでしょうか。それぐらい彼らの直感は凄まじいのです。ただ、それはあくまでも直感で、結局すべてで同じことを言っているだけになってしまう。それが手を変え品を変えているだけで全部同じなわけです。そんなだからあれだけメルマガや本が量産できるんでしょうけどね。

 

ただそういう話って僕らのような一般人からすればすげーってなっちゃうわけです。

だからメディアも持ち上げる。でも彼らのやり方って直感の働く彼らにしかできない方法なので全く再現性が無い。でもいかにも簡単そうにやってるから余計人が集まるという堂々巡りが永遠と繰り返されてしまう。そういうときに真っ先に引っかかるのが、いわゆる逆転を狙う人だったり、僕もそうなのですが、そこまで実力がないのに自分を過大評価してしまう人なんです。そういう人たちは結局何もならずに終わるだけなわけです。

 

彼らの見てる世界って本当に一部の人たちしか見れない世界なわけです。

僕らのような一般の人が見てもわからないんです。だからこそ、大学を始めとする教育機関というのは必要なんだと思います。役に立たないといわれる義務教育や一般教養は様々なものの見方を養成するためには必要不可欠な要素だと思います。彼らの視点を模倣することはできても、結局それはうまく行かないもので、それに対抗するためには様々な見方をする力を養成するしか無いと思います。量産型といわれますが、正直海外の大学も労働力を量産してるだけですよ。所謂る「一般の人」にとっては都合がいいのです。だって突出する必要がないですから。ただその世界だと彼らは儲からないから、そういうのはだめだって言ってるだけですし。

そのことを頭において彼らの発言は見たほうがいいと思う今日のこの頃です。

未だにあんなペラい内容を真に受ける人がいるのも不思議ですけどね。

学術出版への漠然とした思い

どうもお久しぶりです。

留学への見通しが全く立たず辟易しています。

 

ところで先日とうとう学術出版の老舗である創文社が解散されました。

創文社の全書籍が絶版免れる 講談社がオンデマンド形式で出版へ:東京新聞 TOKYO Web

おそらく所謂るアジアを学んでいる人にとっては親しんでいた出版社だと思います。

僕自身も何冊か持っていますし、いつかはここで本を出したいと思っている研究者もいたと聞いております。

ただ、その値段ですよね。

アーカイブで保存しているので無くなることはないかと思いますが、いかんせん高い。

このリンク先を見ていただければわかるかと思いますが、一番安くて5千円台、高い物だと一万円後半となっているわけです。僕らのような値段感覚が麻痺しているような人間からすればべつにどうってことないですが、一時期話題になった某漫画村のように今ではただで本が読めて当たり前と思う人も多いという現状があります。

そのような中で、この値段設定で大丈夫なのか、と思う人も多いでしょう。

なぜこの値段設定でいいのか、またこの値段になってしまうのか。

結局出版が安くできるのは、洋服と同じで多く印刷しないと安くならないという現状があります。

言い方を変えれば、需要のない本は高くしないと利益が出ない。

そしてそのためには在庫をそこまで多くしないように数を絞らざるを得ない、という悪循環に陥ってしまっているのです。

加えて学術書は良くも悪くも大学図書館が買ってくれますから、少し高くても昔は問題なかったといえます。しかし、結局は本の予算が削られ、買われなくなってしまった以上、このような形では難しいのが現状でしょう。

一つ例を上げると、僕の学部時代の師匠が本を出されました。Cinii booksで所蔵図書館を調べてみると、42館のみヒットしました。

では日本には大学が何校あるのでしょうか?

調べてみると、どうやら786校(平成29年度)あるようです。つまり約19分の1の大学にしか所蔵されていないということになります。師匠は科研費で出版をされていますが、おそらく300部ほどしか刷られていないと僕は踏んでいます。見方を変えれば学術書は出せば出すほど赤字ということになっているという残念な形になっています。

アメリカなどは大学の出版社で専門書を出している例がありますが、今後のことを思うと、日本でもその形以外では出すのは厳しくなっていくかと思います。

 

僕自身学術に身を置くものとして、いつか本としてまとめれれば良いなと思ったりします。

ただ現状、学術書を出版するには科研費を取らないと厳しいというものもあるし、引き受けてくれる出版社も少ないという現状があります。

日本の出版制度が再販制度など色々ありますが、それを見直す機会も来ているのではと思います。

 

当然といえば当然か

こんにちは。

いまコロナで色々と大変なことになってますが、バカはどこでも行くもので。

www.okinawatimes.co.jp

 

いやだから行くなって言ってんだろが

 

全く何もわかってないな、と。色々言われていますが、このウイルス8割は罹患してもずっと陰性なんだとか。その他2割が症状が現れ、重症化するってずっと言われてます。

結局自分らに都合がいいことしか信じないんですねえ。

特に次のはこういう人たちの考えを代弁してるかと

 

名古屋市から来た30代の夫婦は、昨年9月からハワイ旅行を計画していたが、新型コロナウイルスの影響で渡航は中止に。以前から企画していた沖縄旅行に変更した。4泊5日で南城市斎場御嶽本部町美ら海水族館を観光。会社員の夫(38)は「地元の人からしたら、観光客から感染するかもしれないと恐れる人はいると思う」。常にマスクを付け、消毒液を持参し手洗いうがいを徹底したとして「対策は万全ですから」と話した。

 

いやだから対策は万全とかいうアホなこというなや。

他にもコロナ疎開とかいうのがいるみたいですね。

 

www.sankei.com

 

結局こういう人たちって自分は大丈夫、自分はかかってないから他の人に感染させるわけがないって思ってるんですよね。

しかも変な自信をもって言ってるわけです。

正直こういう人たちはとっととかかって死んでほしいんですが。言い方は悪いですがね。

僕自身も3月末の沖縄はキャンセルしました。5月に行こうとも考えてますが、行けるかはわかりません。

それぐらい重要な時期なのになんでおとなしくしてることができないのか不思議ですね。

もう一旦インドとかヨーロッパみたいに外出したら罰金とかやってみたらどうでしょうか。

税金として集めれば潤うしいいと思うのですが。

 

とりあえず今日はこのへんで。

 

インバウンドの弊害

どうもこんにちは。

だいぶ更新が滞っていますが、ちゃんと生存してますはい。

 

巷ではコロナウイルスが猛威を奮ってますね。

そしてどこも観光客が少ないというニュースが出てます。

例えば沖縄タイムスが↓な記事を出してます。

www.okinawatimes.co.jp

www.okinawatimes.co.jp

あとは東洋経済がこんな記事を出してました。

toyokeizai.net

いづれもインバウンド需要を見込んでいた業界からの悲鳴ですね。

沖縄の国際通りラオックスが店を閉めたというのも聞いていますが、今年は春節にコロナが重なってボロボロだったようです。

中国でも、普段よりも春節の消費が大幅に落ち込んで、成長率を下方修正してましたね。

 

言い方は悪いかもしれませんが、いづれも案外予想できたことかと思ったり。

沖縄は好きなのでウォッチしているのですが、観光客頼みの産業構造が浮き彫りですね。

他の地方都市なんかも結局外国人の観光しか経済が活性化しないんですよね。

沖縄なんかは特にそうで。めぼしい産業が観光ぐらいしかないという致命的な欠点があるんですよね。

いやいやオリオンビールとかあるし、IT企業が色々やってるやん?ってありますが、じゃあ他の有名な企業は何が有るのって話ですよ。

美ら海なんかはモロ観光ですし、オリオンビールが有名なのって結局内地で売れるようになってきたからでしょ?

ITセンターなんかも結局沖縄は人件費が安いから企業がこぞって作っているのであって、別に意味はないんですよね。中国に工場を作ってたところが、バングラデシュとかに作るみたいなものですし。

結局これって地方活性化っていうのが上辺だけのものだというのが分かる事例なんだと思うんです。

コケたら一瞬でその地域の経済が消えてしまうという危険がはらむ。

ならお前が新しい産業を提案しろよとか言われるかもしれませんが、僕が思いつくのは中継貿易ぐらいなんですよねぇ。

琉球王国の時代なんかは、中継貿易で利益を出してたのでやりようによってはできると思うんですが。

その延長で組み立て工場作るとかね。ただ輸送費がばかにならないので、作れるものは限られてくると思いますが。

 

グローバル化が崩れる寸前の状態かと思うんです。さらには、結局自国で作れるものは作ったほうが徳って考えに移りつつ有ると思うんです。

ただ安く作るだけなら良いけど、結局売る国に持ってこないと意味がない。

それなのに貿易制限でもってくることすらできない。

それなら自国で作っちゃえってなりますよ。

 

今後このような考えに回帰しないと、日本てもう何もない国になっちゃいますね。

中国政府奨学金の面接にいってきました

お久しぶりです。

今日は東京に中国政府奨学金の面接に行ってきました。このパンデミックの時によーやるなと思いますが。正直ネット面接でもいいのではとか思ったりしますが。

 

会場はお台場の国際交流会館というところでした。住んでる人もいるみたいですが、よくわかりません。とりあえず割と僻地のようなところでした。

流れとしては↓な感じ

 

①受付→待合室へ

②呼び出されて面接室へ。人数の組み合わせはわかりませんが、僕は3人でした。

③面接開始。面接官は中国大使館の人、学者の方々合わせて5人でした。時間はだいたい15分ぐらいだったともいます。

④面接の内容ですが、「中国になぜ留学へ行くのか」、「研究はどのように行うのか」の2つを聞かれたあと、大使館の人から中国語で質問です。「どれぐらい中国語を勉強しているのか」ということですが、緊張していたせいか聞き取れず、日本語で返してしまいましたが。これで落ちてしまったらかなしいですねぇ…。

 

と、こんな流れです。あとマスクは全員装着してました。

ただ東京の人たち案外マスクしてなかったような。あんまり危機感ないような気はしました。

 

結果はまた書きます。

丸橋充拓『シリーズ中国の歴史② 江南の発展』を読みました。

こんにちは。

コロナが流行っていたり、急に寒くなったりする日が続きます。

住処の風呂は狭いのですが、時々お湯を張って浸かるようにしています。だいぶ温まりますね。寝るまでの心地よさが違います。

 

さて先日に引き続きシリーズを読んでました。これですね。

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

 

こちらの著者も前回の著者同様、京都大学で学ばれた方です。最後の方に京都学派の話もちょっとだけ出てきますね。

方針としては、第1巻とさほど変わりません。著者一同と書かれている「はじめに」にあるように、時代論的な区切りではなく、非常に大きな視野で展開されています。

第1巻で古典礼制が成立し、中華王朝が成立するために必要な要素がどのようなものであったのか、ということを踏まえ、第2巻ではいわゆる歴史書には出てこない、一般お人々がどのような考えのもとで行動していたかを述べています。そしてその根幹には江南という中国歴史上重要な地域の特性があるとしています。 

著者はこの時代の人々の繋がりを「幇の関係」と呼んでいます。

王朝の考えはあるけれども、実際の人々の関係は違うよ、とのことだそうです。

改めて確かにそうだなと思ったのは次のことです。

日本にも取り入れられた律令は結局中国ではうまくいきませんでした。そしてそれをなんとか修正しようと様々な税制が試みられるのですが、人々は固定化せず、アウトローが多く出てきてしまします。そしてそのような人々が当時進んだ地域、ここでは江南ですが、そこに出てきて仕事をし、発展をしていくということです。これによって日本の江戸時代に出現した士農工商といった身分固定が起きなかったということは中国の歴史を考える上で重要なことでしょう。特に中国は「文」が尊ばれる国であり、その根幹には古典礼制度があります。いうならば、理想は描くけれども、現実にはうまく行かないことのほうが多い国作りだと言えるのではないでしょうか。逆にそれほどある種行動に縛りがない国作りをしたからこそ、様々な文化を育んだともいえると思います。

よく言われるのが中国には表と裏があるということです。

表では社会に恭順しているように見えますが、現実は違う。そしてその現実に対処するためにどのように協力を仰げる人を作るのかが重要なのかと思います。この本を読んでいると案外考え方が変わらんものだなとも思えてきますね。

 

恥ずかしながらちゃんと中国史を学んだ人間ではないので、なんとも中途半端な理解ですが、非常に面白く読むことができました。次も楽しみです。

また、丸橋先生の文章は非常に読みやすいのもサクサク読めた理由です。渡辺先生の文章で挫折しかかった方も、これは読みやすいと思えるのではないでしょうか。