caffeine-de-diary’s blog

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人文系院生が思う業界の現状その1

沖縄のことはまた書きますのでお楽しみに。

突然ですが、「高学歴ワーキングプア」という言葉をご存知でしょうか。

水月昭道さんが同名の新書の中で取り上げられた言葉です。

言ってしまえば所謂博士後期課程を修了した人、特に人文系の人が就職できず、フリーターのような生活を送らざるを得ない、という感じです。個人的には明日は我が身という状態ですね。

書籍の主張をまとめるならば次のようになろうかと思います。

 

高学歴ワーキングプアが起きたのは政府の大学院重点化のためである。

・そうであるのに、ポストが確保されない。フリーターのようなことをするしかない。

・それを野放しにしといて良いのだろうか。税金が無駄に使われているのだぞ。

 

という感じでしょうか。

確かにこれはすごく問題なことだと思います。以前世間を少し騒がせた女性研究者の自殺の事件がありました。↓ですね。

www.asahi.com

この方の経歴は人文系としてはエリート街道まっしぐらという感じです。

それでもポストは無いと言うのが現状であり、恐く今後も改善はされないでしょう。むしろ更に悪くなっていくと考えて良いと思います。

 

ただ少し考えてみましょう。これは本当にここ数年の問題なのでしょうか。むしろ昔から問題だったものが表面化しつつあるのではないか、というのが持論です。

つまり、「高学歴ワーキングプア」は実は昔からあったのであり、大学院重点化が問題ではなかったのではないか、というように考えています。まぁ具体的な根拠には欠けるのですが。

例えば先程あげた西村さんのポスドク受け入れ先の教員である末木先生はブログの中で次のように話されています。

 

専門によっては、かつては修士課程を修了すれば、すぐに大学に職を得られるようなところもあった。どこの大学にも設置されている英文学・国文学(現在の日本文学)・国史学(現在の日本史学)などは、売れ口がよかった。それに対して、インド哲学のような分野は、もともと就職口は小さかった。ただ、寺院の子弟が多かったので、修士課程修了後、自分の寺に帰るというコースがあり、必ずしも大学に就職しなくてもよい者も多かった。

 大学院入学の口述試験の際に、主任教授から、「修了しても就職口はないが、それでもよいか。両親は許してくれているか」と問われるのが慣例であった。ただし、これについては、私が助教授になってから、研究室会議で、大学院での研究とは関係ないことなので、不適切な設問ということで、それ以後取りやめることになった。しかし、実態が変わることはなかった。それ故、寺院のような帰る場所を持たない場合は、あらかじめ予備校・塾の講師や、不動産がある場合はその経営など、各自で収入の道を考える必要があった。

 その頃の大学への就職は、公募ではなく、大部分がコネによるものであった。基本的に研究者養成は、旧帝大系か大きな私立大学に限られていたので、それぞれに縄張りがあり、欠員が生ずると、先任者の出身大学の研究室に依頼して、適任者を紹介して、大体そのルートで就職することになった。旧帝大系の教授の仕事の一つは、どの大学のどの教授がいつ定年になり、その時に誰を推薦するか、その順番を決めることにあった。そのために、教授のボス化が起りやすかった。ボスの気に入られなかったために、就職の順番から外されるというアカハラ的なことも少なからずあった。

2019年5月 1日 (水)

 

また次のようにも書かれています。

 

まず指摘したいのは、小宮山氏は、N氏の問題を大学問題一般の問題に解消し、それを近年の大学政策を批判するという文脈に結び付けていますが、これは不適切です。N氏の研究分野は、日本思想史であり、そのなかでも近世の仏教思想を専門としています(このことは記事に書かれています)。従って、仏教学や宗教学とも関係するもので、その方面の学会でも発表しています。私自身は仏教学が専門であり、その方面から日本思想史や宗教学とも関わっています。私は、東京大学の印度哲学(現インド哲学仏教学)研究室の出身であり、その教員として学振特別研究員のN氏を受け入れました。しかし、この分野は最近就職がなくなったというのではなく、創設以来、就職の困難な領域でした。私自身も、大学の助手(いまの助教)を3年務めた後、任期で退職し、その後、安定した職を得るまで5年間就職浪人をしました。その間、職業安定所(今のハローワーク)にも通い、失業手当も受けました。40年も前のことですが、N氏とまったく同じ状況でした。従って、N氏の精神的に不安定な状態は、私自身もまったく同じことを経験しているので、よく分かります。私は37歳で職を得ましたが、N氏はそれより遅れています。しかし、今日全般に研究教育職への就職が遅れているので、40代半ばというのは普通です。それ故、それを直ちに最近の大学政策に結び付けるのは間違いです。

 確かに大学院重点化以後、ポスドクの就職の手当てが十分でないということは問題です。大学院重点化により、大学院生を定員まで増やすようにという圧力は大きいものがありますが、それに対しては、それぞれの専門で工夫していますし、特に修士課程から博士課程に進学させる場合はかなり絞っています。私どもの専門では、多少院生は増えていますが、外国人留学生や、定年後や他の専門を経た方の再入学も多いので、ただちにそれで若い人の就職難が大きくなったというわけではありません。そのように、国の大学政策のせいで一律に問題が起ったという書き方はミスリードするものです。

2019年4月19日 (金)

両記事ともにこのブログより

 

つまり一昔前からポストが得やすい分野と得にくい分野があったということなのです。末木先生はインド哲学ですので、より少数派であったのでしょう。僕がやっている分野の中哲も同じで、昔の学者を見ていると家が寺の人も多かった気がします。

一昔前は院に入る時の面接時に「君の家は太いか(金はあるのか)」と聞かれたと聞きます。結局の所昔から言われていたことが表面化しただけ、ということになろうかと思います。今いる院の先生方にも、予備校の講師をしていた方もいます。母校の大学でも奥さんに養ってもらっていたということを笑いながらお話する先生もいました。それだけポストの獲得が厳しいということが分かるかと思います。

今では採用も大分クリアになってきており、昔のような縁故も少なくなったと聞きます。逆に一本釣りも多いようですけども。今の指導教員の先生も話を聞くと一本釣り型ですね。

色々悲観的な話になりましたが、末木先生の次の言葉は響きます。4月19日の記事です。

 

私どもは、研究者の人数も少なく、厳しい状況の中で、長い伝統を守りながら、地味な研究を続けています。それは決して世間の脚光を浴びる分野ではありません。就職や収入も不確かです。それでも、研究が好きで、誇りをもって日々の研究を進めているのです。億単位の金が動く理科系とはまったく異なるのであり、それと同一に論ずるのは間違っています。

 

結局のところこれなんですね。「面白い、好き」だから研究ができると思います。

僕も道教という宗教には惹かれますし、全真教という奇妙な宗教団体にも非常に興味を抱いています。他にもチベット仏教といった分野にも興味がわきつつあり、尽きることはありません。今の指導の先生に進学のお話をした時、「ポストは無いけど大丈夫?」とやんわり言われたことを思い出します。それを覚悟の上で進んでいるのです。食い扶持はまぁなんとかなるでしょう。

では、僕がやっている道教だとどうなのでしょうか。

それはまた次書こうかと思います。